子供でも一人一殺の時代

Takenori自身がこの記事を読み終わるまでにかかった時間は約4分です。

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幼少の頃に世界大戦を経験した妹尾河童による、少年時代の出来事を書き綴った小説「少年H」。

まだその全てを読み終わってはいないが、読んでいて考えさせられる部分や、胸にグッとくる部分をメモに残している。

それを自分なりにまとめてみたいと思う。

戦時下の給食

第二次世界大戦が始まって以降、学校での給食も廃止されたり再開されたりと食に関して不安定な状況下であったときのこと。

久しぶりに給食が再開され、「給食が食べられる!」と思ったHの目の前に表れた給食の内容。

  • 日によってコッペパンや高粱米だったりした
  • おかずは干したニシンや大根の葉を塩揉みしただけのもの

Hは高粱米について、

「赤い色の高粱(中国で栽培されるモロコシの一種)が入っている高粱米は、ベークライト製の容器に入れられていてムッとした臭気が鼻についた」

と述べている。

またある時には、Hの父親が勤務していた消防署でもらったパンについて、

「消防署でもらったパンは給食のパンよりもちょっと黒かったが、藁が入っていないのか味はうんと上等だった」

と、その感想が書かれている。

普段Hが口にしているパン、例えば給食のパンなんかには、藁を粉にしたものが入っていたというのだ。

人間が、藁をどのように調理して食べることが出来ようか。

食料事情

国に国債を無理やり買わされ、お金もなければ買う物もない時代。

それは食べ物も同じで、食料は購入することによって得るのではなく、配給という国から配られる食料によって賄われていた。

配給でのお米が二合三勺だったのが、二合一勺になると国からの通知が来たが、実際に配給されたのはお米ではなく代用食(うどん等)であった。

この頃の学校では授業時間はほとんどなく、戦争のための道具の部品を作りそれを三菱に持って行くということが大半であった。それを学校工場と呼んだ。

部品を作っている途中で空襲警報が鳴ると、解除されるまで独自の判断でどこかに退避することになっていたため、Hの友人は笑いながら「畑へ行くぞ!」と言った。

1週間後に収穫予定の玉ねぎが植えている畑へ行き、玉ねぎを盗むためだ。

そのとき気がかりだったのは、少し前に横浜で同じように畑泥棒をした者がいて、それを見た畑の所有者が盗みを働いた者を撲殺したが、正当防衛ということで起訴されなかったという事件があったことであったという。

Hは、友人も見つかってしまった場合、撲殺されてしまうと思ったということだろう。

いつも最後の晩餐

父親が

「明日は非番やから、今晩ははだのさん(Hが住まわせてもらってる人)の所へ行って、一緒にご飯を食べようか?」

と口にしたとき、Hは

「そんなことをすると、最後の晩餐になりそうで心配やなぁ」

と思ったそうだ。

父親と共に帰ってきたHを見たはだのさんは、庭で飼っていた鶏を絞めて、鶏のすき焼きにしてくれた。

一緒に入っていた玉ねぎは、Hが友人からもらった貴重な玉ねぎだった。

友人が玉ねぎを入手した経路は、畑から盗んで得たということも、Hは知っていた。

翌朝、すき焼きの残りを食べていると警戒警報のサイレンが鳴り響き、非番だと言っていた父親が出勤の支度を始めた。

Hは、

「これが最後かな」

と思ったが、それはこのときだけではなく、いつも思っている自分がいることに気付いたと書き加えられていた。

一人一殺

空襲警報が鳴ったため避難している途中で、体格もよく柔道を習っていた友人が別の友人と揉み合いになっている所と遭遇した。

国民抗戦必携の「白兵戦闘と格闘編」に書いてあることを、もしものときのために実践していたのだという。

Hが「白兵戦闘と格闘編」に目を通したところ、次のように書かれていたと述べている。

「一人一殺(いちにんいっさつ)でもよい。とにかくあらゆる手を用いて、なんとしても殺さねばならない。事態はもはや、肉を切らせて骨を断つではなく、骨を切るが、自分も骨を断たれるところにまで至っている。しかし、断じて気迫のあるところに戦いは必ず勝つ」

これに驚いたHが友人に読ませたところ、友人からは次のような返事が返ってきた。

「そんなのに驚いとるんか。弟が読んでた少年倶楽部に手榴弾の投げ方という記事が図解入りで載ってたで。それにはやな、

”沖縄の戦線では、諸君と同じ年ごろの少年が、手榴弾を握って敵陣に突撃した。ぼくたちも今から訓練して、本土決戦にそなえよう。石を投げることでもりっぱに練習できるから、いますぐ始めよう”

と書いてあったんやで。そやから、ほんまに子供も本土決戦要員に組み込んであるんや。国民が全部死ぬまで戦争が終わらんぞ」

少年倶楽部というタイトルの本にも拘わらず、このような内容の記事が掲載されていたというのだから、常識やモラルもあったものではない。

父親を亡くした友人は

いつも陽気でなんでも喋る友人がいたが、たまに学校工場を休むときがり、その理由も話したがらなかった。

Hを含め周りの友人も、何か事情があるのだろうと何も聞かなかった。

ある日、下級生が友人を見かけたときの話をHにしてきたことがあり、内容が次のようなものだった。

「荷物を乗せた大八車を引いて歩いていた。疎開へ向かう人々の荷物や、空襲で焼け残った物の運搬をしている。大八車を借りるのにもお金がいるから、友人はそこまで稼げていないはずだ」

友人は、南方戦線に向かった父親を亡くしていたため、母親と妹の面倒を1人でみていたのだ。

大八車に荷物を乗せて歩く運び屋の仕事は、距離が長いときだと往復50キロのときもあることが後に発覚した。

まとめ

今日書いた内容は、少年Hの下巻「一人一殺」というサブタイトルにて書かれている項目を参考に、僕が抜粋、加筆したものである。

一人一殺は20ページにも満たないページ数で構成されているが、それでも本記事で書いたようなことがビッシリと書かれていて、戦争時の虚しく悲しい背景が痛いほどに伝わってきた。

そしてこれらのことは何も、著者である妹尾河童(本名:妹尾肇)だけが幼少の頃に体験したのではなく、Hの身の回りの人々すべてが、日本に住む人々の全てが、体験したことなのだ。

そんな時代をなんとか生き残り、今日の日本にまで導いてくれた先人の方たちには、どれだけ感謝をしてもし切れない。

今を生きる若い人たちが、こうした本にもっと目を向ければ、世の中も少しは変わるんじゃないかなぁと思えるほどの、面白くて為になる1冊だった。

当時は一人一殺だったとしても、今後は世界中の全ての子供が、好きな本を一人一冊持てる世の中に、なってほしいと思う。


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