少年の7DaysWar(前半)

Takenori自身がこの記事を読み終わるまでにかかった時間は約5分です。

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毎日が苦痛でしかなかった。

生まれてから10年目を数えたその年を、少年は来る日も来る日も、ダークブラックな気持ちで過ごしていたことを覚えている。

今はどこで何をしているのか、生きているのかさえわからない、少年と血のつながった実の父親。

その父親が少年の苦痛の元凶であったのだが、どんなことが苦痛であったのかを話す前に、少年と父親との関係について話しておかなくてはならない。

少年と父親の関係

少年とその父親の関係は、どう説明すればいいのだろう…。

有体に言うならば、アムロ・レイとテム・レイの関係、もしくは星飛雄馬と星一徹の関係、と言ったところであろうか。

シンプルに表すとただの親子ということになるのだが。

そんじょそこらの父親とは毛色が違うというか、そもそもほとんど毛が生えてなかったというか。

とにかく明るい安村とは正反対の人物であったのは確かだ。多分。

朝は5時起床

小学5年生になると共に地元の少年野球クラブに所属することになった少年は、毎朝を5時に起きるという生活を余儀なくされるようになった。

少年野球クラブに朝練というものはない。

8時に起きたって1時間目の授業には余裕で間に合う、そんな距離に小学校もあった。

ではなぜ、朝も早い5時に起床する必要があったのか。

少年が当時住んでいた家から、小学5年生の足ならそこそこ息が切れる程の速さで20分程を走ったその先に、中々に広い敷地を誇る神社が存在した。

山の上にあるその神社に辿り着くには、そこそこ急な傾斜かつ150メートル程の坂を昇る必要があったため、それまでの道のりと坂とを併せた距離を走りぬく頃には、少年はヘトヘトにならざるを得なかった。

父親はと言うと、ヘトヘトになっている少年の少し後ろを、自転車に乗ってついてきていたな。

そして本番はここからだ。

辿り着いた神社を1周するには約300メートル程をグルっと回らなければいけなく、また間には昇りの階段と下りの階段が併せて50段くらい存在した。小学5年生にとってはヘルロード以外の何物でもない。

そんなヘルロードは、神社の入口に立つと全体が丸見えだったため、どこに誰がいるのかも少し目を凝らせば把握できる、そんなスケルトル・ヘルロードだった。

スケルトン・ヘルロードを、1周1分とかからず5周走る。

それが少年が父親に課せられた試練であった。

300メートルを1分で走るには、100メートルを20秒で走らなければいけない。

こう書くと結構簡単なようだが、それが300メートルにもなると常に100メートルを20秒以内で走るというのは中々に厳しくなってくる。ましてやそれを5周だ。

1500メートルを5分で走る計算になるわけだが、もし小学5年生で1500メートルを5分以内で走ることが出来るのならば、野球なんてせずに陸上競技部に入った方がいい。将来有望だと担がれることは間違いない。

この2年後の13歳になる年の頃には、その少年も1500メートルを5分そこそこくらいのタイムで駆け抜けるようになるのだが、10歳当時ではどうあがいても6分30秒が限界だった。

5分から30秒を過ぎた分だけ1周追加とのことだったので、最低でも8周、多いときでは10周以上も走らされることがあり、少年にとってこのヘルロードは正に地獄への入り口であった。

入り口と言えば、この1500メートルプラスアルファの距離を走るということ自体が、これから少年を待ち受けるヘルタイムへの入り口でもあった。

学校に行くまでに、まだ時間はたっぷりとある。

ということで、神社にたどり着くために通らなければいけない坂道や、神社の中の階段を全力で何回も走るという暴挙に出させられたり。

走らせるだけでは物足りなかったのか、スクワットをしながら坂や階段を上らせたり。

あげくの果てには、父親の乗った自転車を押しながら坂を登りきり、すぐさまその坂を自転車で下っていく父親を追いかけては、また自転車を押して坂を登る、というようなことまでさせられた。

合間合間で5分くらいの休憩があったのが唯一の救いであった。

それから家へ戻るのだが、帰りももちろん20分程をかけて走って帰る。その後腕立て伏せを50回行ったあとに、バットでの素振りを100回。そうしてようやく、朝ごはんを食べ学校へ向かうというのが、少年の生活であった。

朝の5時に起きていたのは、これが理由。

野球は更なる地獄

「わかりましたコーチ。」

少年野球クラブにおいて、少年が父親を呼ぶときの肩書はコーチであった。そう、父親は少年野球クラブにおけるコーチという立場であったのだ。

ちなみにコーチと監督は別で、監督としての立場である人も別にいた。立場的には監督の方が上なのだが、最悪なことに監督は少年の父親と同じ職業で、しかも父親の後輩であったために、父親の言いなりであった。

朝は朝で5時から地獄。学校が終わったあとの、少年野球の練習が本番を迎える夕方の5時過ぎは、父親がコーチとして出現する時間でもあったので更なる地獄であった。

そろばんと公文と英語の塾へも通っていた少年は、塾がある日には野球の練習へ向かう前にそれらの授業を先に終わらせてから、父親が出現するまでに野球の練習の場にいないといけなかった。

これがまた辛くて辛くて、そもそも平日は全ての日が塾で埋まっていた為に、学校が終わればすぐさま家へ帰り、練習用の服に着替えて自転車に跨り、そして塾へ向かう途中でまだ下校途中の同級生と出くわす。

少年はそれくらいの素早さを発揮出来るくらいにまでなっていた。

少年野球に所属していたメンバーで同じそろばんに通っていた同級生もいたが、その同級生がそろばん塾に来る頃には、少年はそろばんのその日のノルマを既に終えこれから野球へ向かう、そんな日々。

野球の練習が始まったら始まったで、父親であるコーチが審判として立つバッティング時の少年の打席は、なんと1ストライクでアウトというもはや別次元のルールで以てその場を支配する父親兼コーチの姿が存在し、そんな少年とその父親を見る他の同級生がどう思っているのかといったことも気にせずにはおれず。

そんな少年の気持ちをパワプロで表すならば常に「さいあく」の状態であったことだろう。やる気が上がるイベントも存在しない。体力も常にほぼカラッポであったが、小学生は無敵設定なのかケガもしなかったというか、出来なかった。

練習が終わって家に着いてからも、腕立て伏せや素振りが待っていた。家の駐車場の柱に備え付けられたタイヤ目掛けて素振りをするときがあったのだが、もはやおやじ狩りを行っているかのような軌道をバットが描いているときもあったことであろう。

そして土日。

少年は平日と同様、朝の5時に起きヘル関連のイベントをこなした後に、近隣に存在する複数の小学校の少年野球チームとの練習試合へと向かう。

ほぼ毎週のように行われるその練習試合が、これまた想像を絶する地獄であった。

エラーや三振をしようものなら、父親兼コーチからの怒号が飛び交う。タイガースファンであってもビックリするであろうほどの怒号だ。

少年の守備位置がこれまたボールがよく飛んでくる位置であったために、それに比例してエラーも多くなり、怒号の数も増え続けた。

目から出る汗のせいで飛んでくるボールが見えないことも多々あったが、それを理由に試合を中断させるわけにもいかず、またそんな素振りを見せては更なる怒号が飛んでくると考えていた少年は、常に自分の気持ちを押し殺しながら、淡々と試合が過ぎていくことだけを願っていた。

ランナーとして塁に出た少年を気遣う相手チームの選手からの言葉に、涙したことが何度あっただろうか。

ある日、あまりにも成績がよろしくなかった試合中に、少年はコーチから

「もう辞めろ」

と相手チームの選手や保護者らまでもがいるその場で、盛大に怒鳴られたことがあった。

その日はいつも通りに淡々と試合をこなし、また帰路について翌朝を迎えたのだが、少年は朝の5時になっても起きることはなく、また放課後の練習にも行くことはなかった。

そんな少年に対して父親は何も言わなかったため、少年は、

「これでもう野球をしなくて済む。地獄の日々から抜け出せる。またドラクエができる。」

と、そう考えた。

後半へ続く。


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