脅され同級生10人分の遊興費150万円を負担した福島原発被災者男児

Takenori自身がこの記事を読み終わるまでにかかった時間は約4分です。

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2011年3月11日に発生した東日本大震災。

その影響を受け、当時小学2年生だった男児は家族の引っ越しにより神奈川県横浜市の小学校に転校することに。

そこで待っていたのは、「イジメ」ではなく「恐喝」だった。

少年が残していた手記

2011年から5年経った今、この男児は13歳の少年となったわけだが。

その少年が恐喝されていた当時(小学5年生時)のことを手記に残している。いつもなら抜粋元をURLと共に掲載するところだが、今回はどのニュースサイトやテレビによるニュースでも同じ内容のものが取り上げられているので、特に記載しないでおく。

「ばいしょう金あるだろと言われむかつくし、ていこうできなかったのもくやしい」

 

「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられるとおもった。なにもていこうできなかった」

 

「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」

これらの手記は、少年がノート3冊に渡って書き残していたものだとされているので、他にもたくさん、少年が同級生10人から受けたことの内容や、そのときの心情を書き記しているのだろう。

そして少年はこれらが明るみになった今現在、

「なんかいも死のうとおもった」

と口にしているという。

少年が出したお金150万円は、少年の手記にあるような「賠償金」として国から得たものではなく、少年の両親が保管していたものとされているので、恐らく世間一般的にいわれる「貯金」的な存在となるお金に当たると、僕は思っている。

そのお金を、小学5年生が持ち出し同級生に渡す、という行為。小学5年生といえばもう10歳だ。

10歳の少年が、同級生に合計150万円もの大金を渡そうと思いますか?

10歳の少年が、転校して来た同級生に対して150万円もの大金を「渡せ」と言ったり行動に移したり出来ますか?

そういう、僕の小学5年生当時では到底考えられないことが、今の世の中では実際に起こっている。

小学生ならイジメ?

ニュースでは今回のこの内容を、「イジメ」として報道している。

またこのイジメに対して動いているのは、横浜市の「第三者教育委員会」であるが、それでいいのだろうか。

「イジメではなく恐喝」

「少年は被害者であるし、恐喝した同級生10人は加害者」

「動くべきは警察」

ではないだろうか。

だいたいいつも思うのだが、よくニュースで報道されるようになってしまった「イジメ」問題において、これまたよく聞く「第三者教育委員会」なるものが存在するが。

その第三者教育委員会は一体何が目的で何を成せるの?

実際に起こったイジメ問題を解決したことのある第三者教育委員会が未だかつて存在するのだろうか。

もし存在するなら、その事例もニュースで「あのイジメ問題をこのような方法で解決した」と報道するのが報道関係各社の使命ではないだろうか。

「またイジメです。」の一言をキャスターが発すれば、お茶の間はこぞって画面に注目するだろうが、その為だけにイジメ問題を取り上げているんだろうなと、思えてくるんだよね。

それとは逆にネットはネットでこれまた極端だとも捉えることが出来る意見がたくさん出てくるけど、あながちそういう意見を世間に反映させなければいけないときが来ているんじゃないのか、と思えるときがある。

「被害者が自殺したイジメ問題の加害者は死刑」

という意見が正にそれなんだけど。

「イジメ」と「犯罪」の境界線は一体どこだったり、何なのだろうか。

「150万円を何らかの方法でもって無理やり負担させる」という行為は、10歳ならイジメとして取り上げられているけど、その年齢を倍の20歳にしてみるとどうなるだろうか。

ニュースキャスターが、

「20歳の男性が職場の男性に150万円を無理やり負担させました。」

と発して、それをイジメと取る視聴者は皆無だろう。そもそも報道する側だってイジメとして命題しない。

何がそうさせているのか、答えは簡単だ。「年齢」でしかない。

まだ「児童」や「少年少女」で世を生きる年齢の世代がテレビで取り上げられるほどの問題を起こしたところで、それは中々「事件」として取り上げられない。

殺人くらいにもなると事件にはなるが、今回のように「150万円を負担させる」くらいのことならイジメで終わる。

イジメを行った同級生たちの名前も取り上げられることなく、またその後がどうなったのか報道されることもなく、風化されていく。

そんな世の中だから、大人の仮面を被った子供だらけの社会になるんじゃないだろうか。

少年少女の頃に過ちを犯したところで裁かれることもなければ、世間に名前や顔が知れ渡るわけでもない。大人になるに連れて知恵を付けることで、そうした意識はより洗練さを増し、よりずる賢い大人へと成長する。

イジメではなく犯罪のない世界へ

よく、

「イジメのない世界へ」

とテーマしたパンフレットや、議論を行うテレビ番組を見かけることがあるが。

イジメという言葉そのものをなくして、それに当たる行為全てを、「犯罪」にしてしまえばいいと思う。

すると文字通りイジメはこの世から無くなる。

少年少女が殺人を行えばそれは犯罪。

150万円を無理やり負担させても犯罪。

ニュースキャスターは、

「またイジメです。」ではなく、「また少年による犯罪です。」

と報道すればいいのだ。

何の役に立つのかわらかない第三者教育委員会なんて組織も設置せず、警察が動けばいい。警察なんてせいぜい2、3人が動けばいい出来事に10人も20人も人数を割く余裕があるのだから、税金を納めている者たちへの感謝の念も込めて、犯罪抑制のために動くのは当然のことだろう。

イジメと犯罪の違いは年齢による区別と法により定められているのなら、法を改正すればいいだけの話だ。

法の改正の何が難しいんだ?大人の仮面を被った精神年齢はまだ10歳にも満たない日本の法関係者たちよ。自分たちで難しくしているだけで、そのせいで苦しむ本当の子供たちが多数存在しているのに。

弱者を守らず自分たちを守る法なんて、暴力団よろしく必要悪と同じではないか。暴力でもって防ぐか、法で防ぐかだけの違い。しかも法なんて被害者にはマイナスに働いているではないか。

どうして犯罪を行った者を守る必要があるのか。例えそれが少年少女だとしても、だ。

そうした少年少女があと10年もすれば、「人の親」としてこの世を生きていくことになるかもしれないのだ。

「子は親の背中を見て育つ」と言うが、犯罪を犯してもお咎めなしな人生を歩んできた親の見せる背中なんて、たかが知れているだろう。

そしてそういう人間に限って、「ずる賢く生きる術」を子供に叩き込む。だから子供は平気でイジメをする。犯罪ではない。イジメだ。イジメなら許されるのだから。

もういい加減、未来のために動いてはくれないだろうか、税金を自分たちの肥やしとしてしか見ていない日本のお偉いさんたちよ。

税金はお前たちの未来の為ではなく、自分たちの未来の為に収めているのだ。

自分たちのことではなく、子供たちのことを考えることが出来るようになってくれないだろうか。


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