努力とイチローに疑問を感じた僕は

Takenori自身がこの記事を読み終わるまでにかかった時間は約5分です。

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「努力」と「イチロー」。

この二つの言葉が持つ意味と、そこから読み取れる関連性に、例えほんの少しだとしても疑問を持ったり違和感を抱く日本人はいないだろう。

努力をすること、努力をしたこと、それらによって得られる結果。

イチローが残してきた、そして今も残し続けているその偉大なる記録と、僕自身の幼少期の思い出よりも思い起こすのが容易いイチローが活躍している姿の記憶。

いろんなスポーツにおいて「メジャー級」とさえ称される、卓越した運動能力を誇る人物が集まるアメリカのメジャーリーグ。

そんな環境で40代を迎えても尚、超一流選手として君臨し続けていられるイチローがイチローでいられる理由は、間違いなく「努力」をしているからだ。

と、思っていたときが僕にはあった。それこそ、ほんの数ヶ月前まではそう思っていた。

「イチローこそ努力の人だ」と。

でも、本当にそうだろうか。

僕はもうすぐ30代を迎えようとしていて、そして30歳前後の数年間が、今後の人生をどう生きていくかを改めて自分に問い質すための節目であり機会だとも考えて日々生活している。

そんな僕が、大好きなイチローという存在を心の目で見て捉えようとしてみた、「努力」と「イチロー」への疑問。

努力とはこの世に存在し得るのか

その言葉に、マイナスなイメージを持つ者はいないとも断言できるであろう、「努力」という言葉。

そしてその言葉が意味することも誰もが瞬時に感じ取れる言葉だ。具体的かつ論理的に説明は出来ないとしても、だ。

突然だが、イチローは努力をしているのだろうか。

イチローの記録と言えば、日本におけるかつてのシーズン最多安打記録に始まり、日米において複数回において受賞した首位打者という記録。まずこれだけで凄い。

次にメジャーリーグにおいて、渡米をした初年度に打ち立てた記録は伝説と言っても過言ではない。

※イチローが残したメジャーリーグ初年度の記録(新人王、首位打者、盗塁王、年間MVP、 シルバースラッガー賞、ゴールデングラブ賞、ア・リーグ月間新人MVP、新人最多安打242本)

そして2001年から2010年の10年間に渡って世界中の野球ファンを楽しませた、10年連続200本安打。

※突出した記録だけではなく、盗塁数やエリア51と呼ばれる広範囲な守備エリアと、相手チームの1点を潰すレーザービームなど、イチローの魅力は記録だけではなく記憶にも残る。

凄い。ただただ、凄い。

これだけの記録を残し続けている理由は、イチローの弛まぬ努力の成果なのだろうか。誰にも真似できない程の努力の賜物なのだろうか。

もう一度、改めて考えてみるが、イチローは努力をしているのだろうか。

きっと誰もが「イチローは努力をしている」と考え、また認めてもいるだろう。でも、僕はそうは思わなくなった。

「イチローは努力をしていない」と、今はそう考えている。

そしてきっと、イチロー自身もそう考えているに違いない。

出来ることをしているだけ

イチローが、毎試合が常人には考えれらないほどのプレッシャーが降り注ぐゲームに臨むにあたって行っていることで有名なことと言えば。

どの選手よりも早く球場に向かい、芝生やグラウンドのコンディションをその足で踏みしめることで体に覚えさせ、怪我をしないためにこれでもかと言うほど入念にストレッチを行い、自分の感覚を壊さないために決して誰のバットにも触れることなく自身のバットのみで素振りをする。

自宅には独自の理論を形にするための専用トレーニングマシンが並べられており、それと同じものがホーム球場に運び込まれる。

シーズンオフにおいても、きっと誰よりもストレッチを行い、誰よりも素振りをして、誰よりも独自のトレーニングを積み重ねていることだろう。

最後の方は憶測になってしまったが、僕が想像する、そしてイチロー以外の誰かが想像している以上に、イチローはトレーニングを積み重ねているはずだ。そこにはほんの少しも疑いの余地がない。

そして、先に挙げたようなことを、イチロー自身は「努力をしている」と考えているだろうか。

イチローは実際に行っているのだから、イチローにとって「出来ないこと」ではないのだ。

例え他の誰かが出来ないことだとしても、イチローにとっては出来ないことではなく、「出来ることをしているだけ」なのではないか。

毎試合を誰よりも早く球場に入り感覚を体に染み込ませる。だからどの球場でも華麗な守備が出来る。

怪我をしないために誰よりも入念にストレッチを行う。だから怪我をすることなく何年間もゲームに出場することが出来、またそのための練習も出来る。

他の誰かの理論ではなく自身の理論により自身の体やフォームを造り上げる。

それらのことは、決して誰もが出来ることではないのかもしれない。しかし現にイチローは出来ている。

「出来るようになった」のが、イチローなのだ。

初めから出来る人は存在しない

日本の社会を生きてきた人にとって、恐らく一度は他人から言われたことがあるであろう言葉。

「初めから出来る人はいない」。

特に社会人であれば、先輩や上司から言われたことが何度かあるのではないだろうか。何かを教えてもらうときや初めて何かの業務を行うとき。

そういったときに体験するこの言葉は、まさにその通りだと僕は考える。どんなことでも、初めから完璧に出来る人なんてこの世に存在しないのだ。

例え今は出来なくても、いつか出来るようになる為に。その為に、たった今この瞬間に出来ることを出来るだけ行う。

そして、もしも唯一初めから出来ることがあるとすれば、それは「逃げる」こと、だ。

出来ないことをしないといけないときに、それに立ち向かうか逃げるのかで、その後に待ち受ける体験は全く異なる。

「出来ないことに立ち向かい続けて、出来るようになったことがある」

そんな体験を一度でも迎えることが出来れば、体験とは自分に何をもたらしてくれるものなのかがわかってくる。

その体験が安っぽいものではなく、「如何に困難だったか」、ということで更に自分を成長させてくれる。

人は、目の前に立ちはだかる壁が困難であればあるほど逃げ出したくなる生き物だ。僕だって何度も何度も逃げたくなるような体験をしながら今まで生きてきた。

そんなときに人が行うことはと言うと、「立ち向かう」か「逃げる」か、のどちらかだ。

そこに簡単か難しいかの差はあれど、「どちらも出来ること」であって出来ないことではない。

そして「立ち向かう」の方を選択してきた人自身や、そんな人であることが伺える人が目の前に現れた場合に、そこから連想される言葉の大多数が「努力」なのだろう。「この人は相当な努力をしてきた人だな」と、想像する。

しかし実際のところは違う。その人は、「出来ることをしてきた」人なのだ。困難なことに直面したそのときに、逃げることなく何が出来るのかを考え、実際に得た体験という出来事によって形成されたもの。

出来ることが多い人。出来るとしてもそのレベルの高さが伺える人。そういった人たちは、ただ「逃げなかっただけ」、だ。

イチローが出来ないことを僕も出来ないように

僕には考えられないほど、想像できないほどの数々の困難と、そこから生じる苦悩と共に、その野球人生を歩んできたであろうイチロー。

しかし彼の野球人生で、更に言えば人生そのものの中で、出来ないことがたった一つだけ、存在しているのかもしれない。

数々の偉大な記録を打ち立て、その言動全てが注目され、日本人の誇りとまで言われるその人物が、唯一出来ないこと。

それは、「逃げること」だ。

逃げることが許されないのではない。逃げることが出来ないのだ。

それはイチローの立場だとか、年俸をどれだけもらっているからとか、そういう類の話ではなく。ただイチロー自身がその道を歩めないのであって、周りの意見は関係ない。

誰もに共通して簡単に出来る、「逃げる」、ということ。

それが出来ないということを受け入れ続けることが「出来る」ということ。

僕はもう、イチローという存在を努力という言葉で表現したり片付けたりすることは二度としない。

そして僕自身も、これまで自分は努力をしていたと思えることに対して、その感情を捨てようと思う。

どんなことでも、出来ることをしているだけ、と思える自分になるんだ。

 


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