身内に警察がいると正義の使者になれたりする

Takenori自身がこの記事を読み終わるまでにかかった時間は約2分30秒です。

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どちらかというと、僕は自分で自分のことを「正義の使者」だと思っている。

それは常日頃の行動にも強く現れ、初めて会った人間とも争いが起こったりすることが頻繁にある。僕が我慢することや高みの見物を辞めれば、それこそほぼ毎日のように小競り合いが勃発してしまうだろう。

常識を守れない人間には、特に強く厳しく接する。

良識だとしても、あくまで僕が思う良識が欠如していることが伺える人間には、更に強く厳しく接する。

常識を守り、良識さえもを持ち合わせ、しかもそれらが口先だけではなく度々の言動から見て取れる人は心からの尊敬に値する。

世の中はルールだ

「少しは世の中のルールを考えろよ。」

そう思える馬鹿者が蔓延る現代の日本社会。

日本以外の世界の国々から見れば、犯罪もなければゴミもない、人も親切で平和な上に恵まれてもいて、とても良い国。それが日本。

だったのは、いったいどれくらい遡れば現実として目にすることが出来たのだろうか。今の日本に籍を置き、今の日本で生きている人で、そんな幻想を抱ける人は実際にいるのだろうか。

テレビやネットによるニュースにて報道される極悪非道な事件を除外してみても、現在の日本という国は他国に誇れるような国とは言えない。

外からは見えない小さな悪が、所狭しと散りばめられている国。それが日本だ。

それに気付いている人はまだいい。気付いていてそれに手を染めない人はもっといい。注意したり、止めさせることが出来る人はもはやゴッドだ。

問題なのは、気付かずに平気で悪を行っている人。気付いていても悪の限りを尽くす極悪人。そういう類の馬鹿どもだ。

「馬鹿に付ける薬はない」と入力しようとして、「ばかに」というところまで入力したところで予測変換として出てくるこの言葉。もはや機械の方が人間よりも賢いではないか。

馬鹿に付ける薬はないと揶揄される程度の人間だと、その言葉さえもを理解出来ないのだろうから。

悪あるところ正義あり

僕のような正義の使者もいれば、悪の限りを尽くす者だって存在する。でないと正義が正義として成り立たない。必要悪、というやつだ。

正義が当たり前になってしまうと、それに対する感謝だとか、尊敬だとか、希望といったような言葉で表現される感情を抱いてもらえなくなる。

それはそうと、このブログを読んでいる物好きな人の中に、「身内に警察がいる」という人はいるだろうか。

そしてその身内を「他人に誇れる」という人はいるだろうか。いるとしたならば、あなたは相当に恵まれている。世界で最も優良な人生を歩んでいると断言できる。

その血筋と運を併せ持つあなたの子孫だけで、今後の日本を、いや世界を埋め尽くしてもいいと言えるほどに。

僕は正義の使者だから、「その誇れる人間が裏で何をしているのか知っても驚くなよ」と水を差すようなことは言わない。静かにそっと、胸の内に閉まって温かい目で見守っておくよ。

残念ながら、僕には誇れるような血筋もなければ運もなかったようだ。

しかしながら、それでも得ることが出来るものがあった。「だからこそ」と言ってもいいかもしれない。

身内に警察はいたが、他人に誇れるような警察はいなかった。

誇れる血筋も運もない。むしろこの体に流れている血の半分が憎い。そう考えた僕は、人生も早々にそれを断ち切る決断をした。まだ二十歳にも満たない人間が、実の父親と決別するということ。そこにどんな意味を見出し、何を得ることが出来るのか。

少なくとも僕はそうすることで、得ることが出来たものがあった。

自分の中の悪を断ち切ることで得ることが出来たもの。

それは、正義の使者となった自分、だ。


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