ある国では道に咲く全ての花の名前が共通だった

Takenori自身がこの記事を読み終わるまでにかかった時間は約3分です。

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僕が17歳の時に亡くなった、母親のお兄さん。

つまりは伯父に当たる人物から聞いた、ある国で体験したという話を思い出しながら書いていこうと思う。

海外転勤族

大学を卒業して商社に勤めていた叔父は、20代の頃から頻繁に海外の色んな国へと出張を繰り返していた。

その主な活動は、自社の製品の輸出先になってくれる国や企業の調査と、可能であれば実際に契約を交わしてくることだったらしい。

まだ海外に出たことがなかった僕は、若き日にそのような体験をしていた叔父を羨ましく思うと同時に、いつも叔父の話に耳を傾けてはいつか自分もそのような体験をしてみたいと、密かに心を躍らせていた。

そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、叔父は決まって「あんな体験はしない方がいい」と何度も僕に念を押すでもなくアドバイスするでもなく、これから未来を歩もうとする僕に軽く注意をするように口を尖らせていた。

叔父よ。おかげで僕は、世界の在り方というものに胸を膨らませずにはいられない、夢ばかりを追いかける20代になってしまいました。

暗黒大陸アフリカで

ある年叔父は、会社からの指令でアフリカのとある国に出張することになった。

どこの国だったかは忘れたけれど、叔父の若かりし頃と言えば、今から約40年程前だ。インターネットもなく、遠く離れた国の情報を知るには、実際に足を運んだことのある人間に直接聞くしかない時代。

その矢面に立たされたのが、30歳目前の叔父だった。叔父を行かせて情報を仕入れてこさせよう、ということ。

ロクな情報もないまま、会社からの指令で当時はまだ「暗黒大陸」と称されていた、アフリカ大陸のある国に飛ばされた叔父。

そんな国で体験したのは、「花を愛することがない文化」だった。

どの花も名前は花

出張で見知らぬ海外へ飛ばされると言っても、行く先の国では通訳や現地ガイドは”それなり”に事前に準備をしてくれていた。

もちろん完全に意思疎通が出来るわけでもなく、また食文化の違いからよく体調を壊したりもしたらしいが、そんなことよりも何よりも叔父が驚いたのは、現地民の花に対する考えというか、捉え方だった。

ある日叔父は通訳とガイドと共に、叔父が勤める会社の輸出先を探して車で砂利道を走っていた。

目当てとする場所まで片道5時間、日本のように舗装もされていなく、正直「こんな場所で自社の商品を必要とする会社は存在するのか」と思いながら、あてもなく続く長い道をただひたすら耐えていた。

そんなときに見えたのが、日本では見たことのない綺麗な白い花だった。

退屈していた叔父にとってはそれだけで表情が明るくなる出来事だったらしいが、通訳やガイドにとってはそうでもないらしく、特に話題に昇ることもなかった。

そこで叔父が花を指さしながら通訳に、「あれの名前を知っているかい?知らないならこのガイドに聞いてみてくれ」と言ったところ、通訳から返ってきた返事というのが、「あれは花だよ。」だと言うのだ。

叔父が「花なのはわかっているよ。花の名前が知りたいんだ」と改めて聞いたところ、通訳からは「花は花だ。名前も花だ。」なんて一休さんもビックリな返答が続けられた。

「ガイドに聞いてみてくれ」と頼んでみても、「誰に聞いても花は花だよ。おかしなことを聞くな。」と呆れられる始末。

花でわかる文化

叔父が暗黒大陸アフリカのある国で突き付けられた事実は、「花という花全てに名前がない」ということだった。

「あの頃、あの国では花を愛する文化とか、そういうものがなかったんだ。」と、そう僕に叔父は教えてくれた。

花を見れば心が安らぐ。それは誰だって抱く感情だと僕は思っていた。

しかし叔父が見たのは、花を見ても何も感じない人たち。こう書いてしまうと、まるでその国の人たちの心や考え方に問題があるかのようになってしまうけど、そういうわけでもない。

叔父が言うには、長らく植民地としての時代を歩んでいた国やその国の人々にとっては、「花を愛する余裕」さえ消え失せてしまっている、ということだった。

自国では何も栽培や開発が出来ず、貴重とされる資源は搾取されるだけ。

そんな国の人々の、花を愛することのない文化という話から、僕は叔父が体験したことと同じ言いようのない気持ちを学ばせてもらった気がした。

いつの日か、名前のない花を自分の目で見に行こう。


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