10年振りの故郷で迷子に

Takenori自身がこの記事を読み終わるまでにかかった時間は約3分です。

スポンサードリンク


死ぬときに後悔する25のことの1つに、

「故郷に帰らなかったこと」

を挙げる人が多くいるらしい。

ブックオフで購入した3冊

↑の左の本を参考。著者は大津秀一とかいう初めて聞いた名前の人。

大津秀一 オフィシャルブログ 「医療の一隅と、人の生を照らす」

死が近くなると過去を思い出し、そして特に若い頃のことは鮮明に思い出すようだ。

なるほど、僕はまだ死期が近いわけでもあるまいし、なんなら故郷になんて帰りたくもなければ思い出したくもないとすら思っていた。

10年振りの故郷

病気の療養で故郷へと帰って来ている同級生の友人を訪ねる為に、今日という日に生まれ故郷である土地へ足を延ばしてきた。

と言っても、未だに100メートルを11台で走ることが出来る脚力でロードバイクを進めれば、20分とかからずに辿り着くことが出来る距離であった。

向かい風であったために、無風か追い風であれば15分ほどで着いたかもしれない。

そう、色んな意味で向かい風だった。

生まれ育った町が見えてくると同時に、小学生、中学生の頃に野球や部活で来ていた川沿いのグラウンドが見えた。

色んな感情が思い起こされて、不思議な気分だった。

川の向こうには、高校生の頃にたった4ヶ月だけアルバイトをしていた温泉も見えた。18歳を迎える年の10月から翌年2月までという短期間のアルバイト先で出会ったたくさんの人たちは、みんな元気だろうか。

いつか機会があれば、友人でも誘って温泉に入りに行こうと思った。

迷子

ビジネスに限らず、プライベートだって待ち合わせ時刻の15分前に目的地に到着するようにする。これが僕の時間に対するスタンダードだ。

友人の家を訪れる約束をしていた時間まで15分の余裕があったので、真新しい建物がたくさん増えていることを嫌でも思い知らせて来る生まれ故郷を知るために、ロードバイクで少しだけウロウロしてみた。

目的の場所へ行く為には、どこをどう往けばいいのかということがすっぽりと記憶から抜け落ちてしまっている自分がいることに気付き、時間の流れプラス自分の記憶力の低下を認めないわけにはいかずにいた。

自分がいる場所から友人の家まで、恐らくは5分程度で辿り着けるだろう、そんな場所にいるのはいいのだが。そこからどの方向に進めばいいのかが全くわからない。

仕方なく文明の利器であるスマートフォンを駆使して、友人にコンタクトを取る。

そのおかげもあって無事に友人の家にたどり着き、友人のリハビリも兼ねて徒歩で散歩をすることに。

思い出

幼少の頃から10年以上を過ごした土地で、同じく同じような時間を過ごしていた友人と共に歩く故郷の地は、無性に懐かしくて仕方がなかった。

残念だったのは、完全に別物になっていると噂で聞いていた中学校の、やはり変わってしまっていたその姿であった。

変わっていたもなにも、校舎の位置やグラウンドの位置すら僕が通っていた頃の場所とは完全に異なっていたため、面影なんてものは一切なかった。唯一記憶の片隅に残っていたのは、剣道の防具を身に着けた銅像だけ。

中学校の向い、道路を1つ挟んだ位置に存在する小学校も、思い出の中の小学校そのままというわけにはいかなかった。

小学生の頃によく登ったアスレチックは2階の部分がなくなってしまっていて、ただの木の棒の塊と化しているのが見えた。時代の流れだろうか、保護者や教育委員会が危険と判断したのだろう。

ニュースでも取り上げられたが、数年前に児童の死亡事故が発生してしまったのも、この小学校であった。アスレチック関連の事故ではなく車による事故であったが。

小学校も中学校も、もう記憶に残っているままの姿ではなかった。それが当たり前で、それが普通なのだろう。

思い出は記憶と心の中に閉まっておけ、ということだろうか。

冒頭でも書いたように、人は死ぬ前に故郷へ帰らなかったことを後悔するという。

それはあくまで、

「自身が過ごした頃の生まれ故郷」

であれば、ということが大前提ではないのか、ということを考えずにはいられない。

故郷に帰りたいという思いの裏に隠れているのは、幼少期の記憶や当時住んでいた場所、そしてそこに生きていた人々あってこその故郷なんだろうな、と。

死を免れないのと同じで、どれだけ恋しく思っても、どれだけ取り返そうとしても、故郷は過ぎ去ってしまった記憶の中にしかない。

そこには悲しさが顔を覗かせるが、だから人は未来に向かって生きていかなければいけないということも、改めて考える機会となったのも確かだった。

生まれ育った場所にも、友人にも、そして自分にも、たくさんの変化があることに気付いた。気付いていたが、認めさせられた、と言った方が正しいかもしれない。

10年振りに故郷を訪れたことで、ここには書ききれないほどのたくさんの思い出が蘇り、感情も沸き起こったが、1つだけ確実に言えることは、

「故郷へ帰りたかった」

と思いながらもそれを実現することなく亡くなってしまった人たちに比べれば、自分は幸せであるということだ。

 


スポンサードリンク

ヒトゴトの他のブロガー

スポンサ-ドリンク