給食が無くなる?

Takenori自身がこの記事を読み終わるまでにかかった時間は約3分です。

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野菜の価格高騰が原因で、小学校や幼稚園の給食が無くなる。

これはここ数日のニュースで報道されている、三重県鈴鹿市の小学校等における給食問題の話題だ。

無くなると言っても完全に無くなるわけでなく、「月に1回か2回だけ廃止する方針」だと市の教育委員会は発表していたが。

そしてその方針も、保護者からの苦情により撤廃されたと昨日取り上げられていた。

そもそも給食って

給食って、いったい何のためにあるんだろう。

僕は保育所、小学校、中学校と、幼少の頃からの約10年以上の歳月を、昼食は給食によりお腹を満たしてきた。

高校生になって多方から生徒が集まってくるようになり、「中学校では給食ではなくお弁当だった。」という意見を聞いて、給食が出ない学校が存在し、しかもその数も大多数に昇るということがわかって大変驚いたものだ。

僕が好きだった給食の献立と言えば、保育所と小学校では子供が大好きなカレーライスだったし、中学校ではチンジャオロースであった。

もちろん他にもたくさんの献立があったが、正直なところ余りよく覚えていない。ごめんなさい、給食を作ってくれていた方たち。

でも、あなた方が作ってくれた給食のおかげで、僕はひもじい思いをすることもなく、保育所や学校生活を送ることが出来ました。今更ながら、直接は伝えられない感謝をここで伝えます。ありがとうございました。

そしてそんな給食の存在価値って、「お腹を満たすためだけ」なのだろうか。それならば、給食を作る仕事という職種はなくてもいいハズだ。お腹を満たすための方法は給食に限られているのではないのだから。

他の地域のことは知らないが、少なくとも僕が通っていた小学校や中学校の献立表には、その日の給食に使われている食材や栄養素が、献立表には記載されていた。

赤の野菜、緑の野菜、黄色の野菜、そしてお肉やその他といった具合に、献立表にはたくさんの食材が書かれていた。しかも手書きで、可愛いイラストも添えてだ。

そこから見えてくるのは、給食を口にする者のカロリーや栄養のバランスを計算して作られたものであるということは、容易に想像が出来る。

どこの誰が考えていたのかなんて考えもしなかったし、完璧な栄養バランスとは言えない献立だったのかもしれないが、少なくとも給食を口にする子供とその親にとっては、とてもありがたい存在であることは確かである。

それは給食を口にして育った人であれば、誰もが共感できる感情だと信じている。

給食の問題ではなく心の問題

とてもありがたい給食。そんな給食が、月に1回か2回廃止される。

それは悪いことなのだろうか。もちろん、昨今の公務員の不祥事よろしく不正な理由により給食費を賄えない場合や、それにより普段給食を口にしている子供たちがその日1日を空腹で過ごさなければいけないのであれば、これは問題だ。

しかし現実的に考えて、給食を用意するための費用が足りないのであれば、給食を廃止するという案もあって然るべきではないのかと、僕は考える。

毎日じゃない。月に1回あるかないか程度だ。給食のない日は親が愛情を込めてお弁当を作ればいいだけの話じゃないか。30分早起きするだけで伝えられる愛情のきっかけを与えてくれたのだと、なぜそう思えないのだ。

「今日はお母さんが早く起きてお弁当を作ってくれた!」

そんな感情を抱くことがないままに成長してしまう子供が大勢いるから、その結果その子供たちがお弁当を作らない大人の仮面を被った子供となってしまうんじゃないのか。

一方で、「親がいない子供はどうするんですか!」なんて意見が飛んできて、給食のない当日朝にコンビニで買ってきたお弁当を食べている子供がいたとすれば、現代の全ての学校が抱えるイジメ問題にまで発展するのが危惧されるのだろう。

そうならないように、親が躾をし、教育者が教育を出来る環境というものを用意しなければいけない。「親のいない生徒」が存在するのであれば、それは保護者のネットワークで伝わっているのだから。

「○○君が、もしコンビニのお弁当を買ってきて1人で食べてたら、あなたのお弁当を半分わけてあげなさい。そして2人で仲良く食べるの。お母さん、腕によりをかけて作ったお弁当がたくさんの人に食べてもらえたらとっても幸せよ。」

くらい言ってみろ。料理が出来ないこと、料理をしないこと、子供に愛情を伝えないこと、それらの逃げ道を給食に求めるのが間違いであって、そもそもお門違いだ。

子供と共にクレヨンしんちゃんの映画を見て涙する感情が残されているのなら、それを想像の中だけではなく現実にしてみろってんだ。

給食プチ情報

いつか何かの本で目にしたが、給食の始まりはフランスらしい。

フレンチレストランのフルコースよろしく、前菜に始まりパンにパスタ、そしてメインディッシュに締めはデザートと、これ以上ないくらいの豪華メニューだ。

それとは対照的に、アメリカの給食は一品であることが多く、しかもその献立と言えばピザやハンバーガーといった食材の時点で加工食品である食べ物ばかり。

そして、給食そのものが存在しない、あるいは満足に食べられない子供たちだって世界中にはごまんといる。

コップ1杯の豆のスープやイモをすり潰して水で練っただけのもの等、その在り方は国によって様々だが、そうした国の子供や親は、給食が用意されないことに対して何一つ文句を言わずに日々生活をしている。何より人と人とが助け合っているじゃないか。

お金や食べ物による貧困と、捉え方や気持ちの持ちようでどうにでもなる心の貧困と、いったいどちらが本当の貧困だろうか。

これだけありとあらゆるものが揃う日本なのに、どうしてこんなにも貧しいのだろう。


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