食へのこだわりが強いことのメリットとデメリット

Takenori自身がこの記事を読み終わるまでにかかった時間は約4分30秒です。

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僕の食へのこだわりは、かの北大路魯山人以上だ。

社会人になってすぐに、お世話になっている企業の社長さんに料亭に連れて行ってもらったときのこと。

僕は平気で、「この食材をこんな調理したら栄養分が無くなってしまいます。」とか、「この飲み物を飲むことで体内に含まれている鉄分がどれだけ排泄されてしまうか知っていますか?」とか。

挙句の果てには料亭の大将に向かって、「疲れているのでオレンジジュースを下さい。」と言って、メニュー表に記載されていない飲み物までオーダーする始末。というかね、オレンジジュースくらい置いておけよ、と。

(全くの余談だが、昔企業へ面接に行った際に、事務員さんがコーヒーか紅茶のどちらがいいのかを訪ねてくれたことがあった。そのときももちろん、オレンジジュースと言ってやった。もう勝負は始まっているんだからな。)

バヤリースはダメだ。100%の、しかもストレートじゃないと。濃縮還元では味も栄養もストレートに劣るんだから。

で、幸いその社長さんは何故か僕をお気に召したらしく、その後も頻繁に新社会人が自分では足を運べそうもない高級料亭に連れて行ってくれたのだが、毎回ことあるごとに社長さんをホトホト困らせた。

その社長さんがいつも僕に言っていた一言が、「君は結婚したら苦労するよ。」だった。

そして二言目には、「食後のコーヒーは家族全員分を私が用意する。」という、何処に行ってコーヒーが出されても決して飲まない僕への、暗な伝言らしきものだった。

生憎だが社長さんよ。苦労は全くしていない。なぜなら結婚をしていないのだからな。

それでも日々の生活の中で、食へのこだわりがそれなりに強いと、やっかいなことが生じることが多々ある。

食へのこだわりが強いことのデメリット

  • 外食時に陥るジレンマ
  • 自炊が出来ない場合の我慢
  • 日本の食材を用意できない国外での食事

外食時に陥るジレンマ

「おいおい、このメニューの中から選べってのかい、マスター。」

そう言いたくもなってしまう外食店が店を構えてはすぐに廃れるか潰れてしまうのが、今の日本という国だ。

「食べたいものがない」から、「仕方なく食べられそうなものをオーダーする」というのが、僕の外食時における行動の9割を占める。

こういう人は少なくないかもしれないが、僕が他の人と違うところは、「高級料亭に連れて行ってもらったときでも」そういう考えになってしまうところだ。

ポイントは「連れて行ってもらった」の部分だが、料理内容によっては「連れてきやがって」に変わるときだってある。

北小路魯山人ここに降臨、か。

自炊が出来ない場合の我慢

ここで言う自炊とは、外食時ではなく身内や友人・知人、果ては恋人の実家に招かれたときのことを指す。

身内の家ならともかく、友人や知人の家で、「料理が口に合わないから食べない」とは言えない。

恋人の実家で「カエルの子はカエルか、たしかに。お宅のお嬢さんやその母親が作った料理は、どうやら僕の喉を通らないみたいでねぇ。」とは口が裂けても言えるハズがない。

それに近いことは言ったことがあるが、「彼女の親に向かってなんてことを…」と絶句された。

なら放射線で温めただけのジャガイモをそのままの姿でテーブルに並べんなってんだ。あやうくホクホクのジャガイモを親の顔目掛けて投げつけるところだった。そういうときの僕の肩はイチロー以上になる。

※放射線=レンジでチンのこと。

日本の食材を用意できない国外での食事

説明しなくてもわかってもらえるとは思うが、日本で生まれてその文化の元で育ってきた僕にとって、日本食とはまさにお袋の味だ。

お袋の味とは、料理が自分の舌に合うかどうかを決める、いや、自分の舌を形成する要因と言っても過言ではないだろう。

そんな舌になってしまっているが故に、舌には全く合わない食材しか存在しない国外での食事は、いかなるものにも代えがたい苦痛を伴うのだ。

食べなくては最悪死んでしまうが、食べたくない食材しか用意できない。

そんな状況に陥ったときに恋しくなるのが、お袋の味、日本の料理なのだ。

おぉ神よ。この私にどんなものでも「大変美味しく頂きました。」と感じることの出来る舌を与えたまえ。そして願わくはyahoo!取締役の個人資産も全てキャッシュでよこしたまえ。

食へのこだわりが強いことのメリット

食へのこだわりが強いと生じるのは、何も悪いことだけではない。良いことだってもちろんある。

  • お金を出してもいいと言われる程の料理の腕
  • 提示されている金額に見合った食材や料理なのかがわかる
  • 自炊が楽しい

お金を出してもいいと言われる程の料理の腕

30代を目前にした今でも、友人は僕の料理を求めて家へやってくる。スーパーで買った食材が入った袋を片手に持って、だ。

付き合いが長い友人は、外食に行ってお金を払うことよりも、僕に料理をさせて舌を満足させる奴らが多い。「王将やくら寿司に行くくらいなら○○に(僕に)お金を出す。」とまで言ってくれる。

「今日は豚キムチとイカのユッケがいい。」

「今日はチンジャオロースとアジのなめろうね。」

「この前食ったハンバーグ旨かったから作って。」

と、週に1回とは言わないまでも、2週に1回くらいの頻度は保っている。海の幸がたくさん捕れる地域なだけに、どこからかもらった魚やイカを、「捌けない上に調理も出来ないから」、と持ってきてくれる。

おかげで僕は、頻繁にしかもタダで魚やイカを食べることが出来て、とっても幸せなのだ。あ、もちろんその場で調理して友人と一緒に食べるんだよ。

提示されている金額に見合った食材や料理なのかがわかる

ぼったくり、というのは相手があってこそのものだろう。

金額を提示できるものには、どんなものにだって付きまとうマイナスな要因だ。

自慢だが、僕は食材や料理については、ぼったくられた経験は無い、と断言する。あの高級魚、「ノドグロ」でさえもをタダで手に入れることが出来るのだから、ぼったくられる状況になることがないのが、そもそもの理由なんだけど。

飲食店で提示されている数あるメニューの価格は、約半分が原価だ。10,000円の料理なら5,000円のコストが店側に発生しているわけだが、その5,000円で手に入れられる食材で、店よりも美味しい料理を自分が用意できるとしたらどうだろうか。

しかも、余分に払わないといけない5,000円が手元に残ることになる。その5,000円があれば、恵まれない国の子供たちにどれほどの食事を与えてやれるのか、一度は考えてみてほしい。そんな世の中になったなら。

「こんなに嬉しいことはない。」byアムロ・レイ

自炊が楽しい

自炊するときの心構えはいつだって「いかに安く美味しく栄養のあるものを食べられるか。」、これだ。

料理が出来ない人間が、目当ての料理が食べられるお店に行ってお金を出して食べる、ということ。

そのことにいったいどれだけのムダな費用や時間が発生しているのか、考えてみてほしい。更に言えば、店側は味についてはそれなりに注意を払っているかもしれないが、栄養についてはそうではない。

客が注文したものを、ただ美味しく作るだけ、だ。体に悪い食材はもちろん、化学調味料を使うことにだってためらいは無い。

それが自分の舌に合っているとするなら、それはもう人間の舌ではなくなっている。

100%自分の口に合うものを作ることが出来るのは、自分の舌を熟知している自分だけだ。

好きな味に好きな食感。好きな食材に好きな料理。それらを全て揃えることが出来るのは、自分で調理するときのみと言っても過言ではない。

食は生き方にも影響する

思えば僕がストレスなく生活出来ているのは、自分の舌に合った料理を毎日欠かさず食べることが出来ているから、なのかもしれない。

自分で食材を選んで、どのように調理するかを考えて、調理できたものを食べながら「次はこういう味付けにしてみよう」といったことを考える。

もし失敗したとしても、それは自分の経験、財産になる。家族や友人となら笑いのネタにだってなる。そこから新しい味、更に言えば新しい料理、そして自分の能力向上に繋がるのだ。

僕の人生の幸福度は、僕の料理の腕にかかっていると言っても過言ではない。


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