ジャイアンとスネ夫が死んだ今改めて思うこと

Takenori自身がこの記事を読み終わるまでにかかった時間は約2分です。

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もうジャイアンとスネ夫の声を聞くことが出来ない。

僕にとってはそれだけで胸が張り裂けそうになり、涙を流さずにはいられない。

ジャイアンの声優たてかべ和也さんと、スネ夫の声優肝付兼太さんの、ご冥福をお祈り申し上げます。

のび太としずかが思うこと

のび太「ジャイアン、スネ夫、どうして死んじゃったんだよぅ、わーん」

しずか「そうだわ!ドラちゃんに生き返らせてくれるように頼んでみましょうよ」

のび太「うん!ドラえもんならきっとなんとかしてくれるよ!」

しずか「のび太さんの部屋へ行きましょう!」

~のび太の部屋~

のび太「ドラえもん!ジャイアンとスネ夫を生き返らせてよ!」

しずか「お願いドラちゃん!」

ドラえもん「…」

のび太「ドラえもん…?どうして黙ってるのさぁ…!?ねぇドラえもん?」

しずか「ドラちゃん…?」

ドラえもん「…」

ドラえもんという存在

僕の座右の銘は、「人生はドラえもんに学べ」だ。

お世話になった大切な人の還暦を祝うための、総勢100名を超えるであろう誕生日パーティに招かれたことがあった。

その舞台でスピーチを任された僕が一言目に放った言葉も、「僕の座右の銘は、人生はドラえもんに学べです。」だった。

約5分間話してくださいと言われていたスピーチは、終始ドラえもんについて熱く語られることになり、「お誕生日おめでとうございます」という決まり文句は一度も言わなかった。

主役の方も、集まった100名の方も、もういい年の青年が大切な舞台で言い放っているドラえもんスピーチを聞いて、「こいつ何を言ってるんだ?狂ってるのか?」と思ったに違いない。

それでも最後に言った一言で、主役の方は涙を流しながら僕のことを力いっぱい抱き締めてくれた。

「何年か前にドラえもんの声優が交代してしまって、もう人生というものを学ばせてくれる存在が無くなったと思っていましたが、ドラえもんはここにもいました。ねぇドラえもん、これからも僕に生き方を教えてください。」

声優交代によりドラえもんがドラえもんで無くなった日

2005年に、惜しまれつつも声優が交代したが、それ以降のドラえもんは全く別物で、ドラえもんとすら思っていない。

交代後の声優さんたちにケチを付けるわけではなく、交代前の声優が織りなすドラえもんだけが、僕にとっての唯一のドラえもんなのだ。

きっと僕と同じように思っている人、考えている人は多いことだろう。

そしてそんな人たちなら、先ののび太としずかのやりとりが何を意味するのかも、わかってくれると思う。

ドラえもんに出来ないことはないがドラえもんが出来なくなる日はいつか来る

先ののび太としずかのやりとりで、ドラえもんはずっと黙っている。

ジャイアンとスネ夫を生き返らせることが出来ないから?

死んだ者は生き返ることがないということをのび太に教えるため?

違う。

ドラえもんは、もう、自分がドラえもんであったことを忘れてしまったから。

大山のぶ代さんの認知症

ドラえもんの声優”だった”大山のぶ代さんが、認知症を患っているとの情報がテレビやネットで流れ始めたのが昨年2015年だった。

数分前のことさえ忘れてしまうほどと夫である砂川啓介さんが伝えているが、自分がドラえもんであったことは覚えているのだろうか。

あのしゃがれた独特なドラえもんの声。例え大山さん本人が忘れたとしても、僕はずっと覚えています。

何も出来なかったのび太と同じ僕に、いつも希望を与えてくれたあなたとあなたの声を、僕は鮮明に覚えています。

ドラえもんが最後に教えてくれたこと

たてかべ和也さんが死んで、肝付兼太さんが死んで、大山のぶ代さんが認知症になって。

これはドラえもんの声優だった人たちが、一歩一歩、死に近付いていることを意味する。

ドラえもんの声優だった人たちだけじゃない。出会うことが出来て本当に良かったと思える、付き合いの長い恩師や友人。出会うべくして出会った、今仕事を共にしている人たち。産んで育ててくれた親と、そして僕自身も。

いつのときもどんな困難でさえも、お腹のポケットから道具を出して、のび太としずか、ジャイアンとスネ夫を未来に導いた、22世紀から来たネコ型ロボット。

22世紀から来たロボットでも、20世紀・21世紀では4人はもちろん僕とも同じように年をとったんだ。

ドラえもんが教えてくれたのは、「時間は誰もに平等に与えられていて、それは誰も変えることが出来ない」、ということ。過去と未来を自由に行き来するドラえもんでさえも。

ねぇ、ドラえもん。ありがとう。


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