認知症の症状が垣間見えるご近所さんと出会って学んだこと

Takenori自身がこの記事を読み終わるまでにかかった時間は約6分です。

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今年の夏、僕は母親と共に暮らすために母親が元々住んでいた住居へと引っ越してきた。

母親は僕が元々住んでいたところから徒歩10分とかからないところに住んでいたので、時間のあるときに少しずつ荷物をまとめては1日に1個のダンボールを運んだり、僕が過ごすことになる部屋を週に1度は丸1日を費やして改装したりといったペースだったので、ほぼ完全に引っ越すのに約1年近くを要した。

そうしてようやく先月の10月に全ての荷物を運び終え、今では毎日を新しい住居にて生活をしているわけだが。

引っ越しのためのこの1年の間に、僕はある1人の女性と知り合ったんだ。

いつも澄んだ目で僕のことをじっと見つめてくる、1人の女性と。

嘘つきな女性

出会った当初の彼女はとても嘘つきだった。

僕の新しい住居から徒歩30秒とかからないところに住んでいる彼女は、毎朝のように僕に嘘をついてきた。

母親が仕事のためにと家を出るのが朝の6時前なので、母親と対面するのが照れ臭かった僕は、引っ越しのための荷物運びを行うときはいつも6時を過ぎてから行動していた。

朝の6時頃なら人通りも少ないし、誰かの目線を気にすることなく扇風機や冷蔵庫、タンスにテレビといった大型のものを持ち運べる。

ようやく荷物を運び入れる新しい住居の玄関にたどり着く。そのとき、僕の目線の先に決まって現れるのが彼女だった。

新しく済む住居の玄関の前に立つと、彼女が住んでいる住居の玄関が見える。僕と彼女の距離はたったそれだけしか存在しない。

いつもむこう側がらゆっくりと歩いてくる彼女の目の前には、いつもシルバーカーが陣取っていた。彼女はそのシルバーカーを両手で押しながら、あるいは自分の体重を支えてもらうかのような面持ちで、僕の目の前までやってきては、もう使われなくなった井戸に被せてある少しだけ厚い鉄製の蓋の上に座り込むことを習慣とした。

井戸の上が、彼女の朝の定位置なのだ。

「ここに住むんですか?」と彼女はほんの少しだけ頬を緩めたような顔で訪ねてくる。

「はい、そうです。僕の母親がここに住んでいて、これから一緒に暮らし始めます。」と僕が返す。続いて僕は間髪空けずに、「ここで何をしてるんですか?」と彼女に問いかける。

「お迎えの車がここに来てくれるんです。」という彼女の返答に、僕はこう返す。「車はまだ来ないから、家で待ってましょうね。」と。

このやりとりを、この1年の間にもう何回行っただろうか。

ご近所付き合いはそれなりに良好なものを築き保たなくてはいけない。これは僕の信条ではなく、母親が住んでいた住居でこれから新しく住みだす僕に芽生えた感情だ。

僕がよろしくない態度をとってしまえば、母親がこれまで築いてきたであろうご近所付き合いというものが、一瞬にして崩れて落ちてしまうのだから。

対話において、元々ニコニコしながら話すのは得意な僕であったから、彼女もその対象に漏れず、「わざとと思われない程度のニコニコ」を顔に装いながら、いつも適当に話をしていた。

出会った頃

彼女と初めて話をしたその日。彼女が言う「お迎えの車」はいつまで経っても現れなかった。

正直、「もういい加減、この荷物を運ばせてよ。目の前にあるこの大きな荷物を運んでいる途中なのはわかってるでしょ?」と考えてしまう自分がそこにはいて。

「車なかなか来ないですね。」と言っても、「ほんまやなぁ。」としか返さない彼女。

「誰が来るんですか?」と聞いても「Yさんが来ると思うんやけどねぇ。」と曖昧な返答しかしない彼女。

「こ、これは埒があかないパターンだ…。」そう思った僕は、シルバーカーを共にしないといけない=身なりからしてもそれなりの高齢だとわかる彼女を、申し訳ないという気持ちもありながらではあるがその場に残し、荷物を新しい住居に運び入れ、元々住んでいた方の僕の住居へと帰ることにした。

そして翌日。昨日と同様に朝の6時を過ぎた頃に荷物を運んでいた僕の目の前に、シルバーカーを両手にした彼女が現れた。

「ここに住むんですか?」と彼女はほんの少しだけ頬を緩めたような顔で訪ねてくる。

「ん?」と思いながらも、「はい、そうです。昨日も言いましたが、ここに住みます。」と僕は返した。この頃は、続いて間髪入れずに何かを返す、ということはしていなかったんだ。

なぜならこの頃の僕は、彼女が認知症の症状を患っているとはまだ知らなかったのだから。

それから

彼女と出会ったその日に、彼女が僕に言った「お迎えの車がここに来てくれるんです。」という言葉は、嘘じゃなかった。

彼女が井戸の上に座るその約3時間後に、介護施設からのお迎えの車が来ることが、出会って1週間後に判明したのだ。

ちなみに、迎えに来る介護施設の担当者の方の名前も、彼女が「Yさんが来ると思うんやけどねぇ。」と言っていた名前と同じであった。確かに、Yさんは来たのだ。

しかしここでまた新たな疑問というか不満のような感情が生まれ始めた。彼女がYさんが迎えに来るのを待ち始めるのが6時頃なのに対して、Yさんが実際に車で迎えに来るのが9時前。

「随分と遅いご到着だな、オイ。」と、最初は思っていた。「空白の3時間はいったい何なんだ」、と。6時過ぎから待ち始めている人がいるのに、迎えに来るのは3時間後。どう考えてもおかしい。

なので介護施設の方と話してみて、なんと発覚したのは、介護施設自体が開院するのが朝の9時で、迎えに来れるのはどんなに早くても9時前になるということと、そのことを伝えてはいるが、認知症の影響から忘れてしまってるんだろう、ということだった。

そしてそれを承知で、彼女や彼女の身内(具体的には娘)も納得した上で、お世話になる契約を交わしているということも。

そもそも介護施設のYさんだって、彼女が6時から待っていたことを知らずにいて、僕からその話を聞いて大変驚いていた。

それからと言うもの、毎朝6時に現在僕が住んでいる住居の前の、もう使われなくなった井戸の上に腰を下ろしては車を待とうとする彼女に話しかけるのが、僕の日課となった。

流石に3時間も話していられないので、僕が彼女に対して言う言葉は決まって「車はまだ来ないから、家で待ってましょうね。」だ。

その言葉に対して彼女が返してくる色んな返事を聞いていると、「ここで待っていないと、Yさんは自分がどこに住んでいるのかがわからなくて困るのではないか?」という意識が潜んでいることが垣間見えてきた。

もちろん、Yさんは彼女がどこに住んでいるのかも知っているし、きちんと彼女の家の玄関まで迎えにも来てくれる。

彼女はそのことを何度も何度も経験してはいるのだが、認知症による症状のせいで覚えていられないのだ。

彼女は何一つとして嘘などついていなかった。いつだって、自分の気持ちにこれ以上ないくらい正直で、覚えていることの全てを僕に対してさらけ出していてくれただけ。

人はこんなにも純粋になれるのかと、彼女に思い知らされた1年だった。

認知症は不幸なのか

僕は認知症になったことがない。身内にも今はいない。

数年前まで生きていた沖縄の祖母が認知症だったが、僕のことを忘れてしまってからの祖母とは、終ぞ顔を合わすことなくあの世に行ってしまった。

今となっては、本当に僕と血の繋がっている祖母だったのかが疑問に思える事実もたくさん露呈してきたが、もうそんなことはどうでもいい。わざわざ母親に聞いて確かめることもしない。

僕の体に流れている血が誰のものであろうと、僕は僕らしく生きる。生まれてくることが出来たおかげで、その術を学ぶことが出来た。認知症の彼女からも、血の繋がりなんて気にすることではないのだ、ということを教えられる日々が続いている。

今現在も、朝の6時には週に5日だけ、認知症の彼女と言葉を交わしている。ほとんどが変わり映えのない、もう何百回と繰り返してきたやりとりだ。

昨日も今日も明日も明後日も。関係が近しくなった人と同じことを同じように言葉を交わす。

たったそれだけのことなのに、それを出来ていない人が、この世にどれくらい存在するのだろうか。

毎朝顔を合わせる一つ屋根の下に住んでいながら、一度は一生の相手と決めた人がいながら、その相手と日々一言も交わさない人間が、どれくらいいるのだろうか。

親と子、そして夫婦。血を分けているとはいえ、生涯を共に過ごすことを誓ったとはいえ、結局のところ相手は自分ではない。他人なのだ。

体も気持ちも何もかもが自分のそれとは異なる存在なのだ。

言葉を交わす以外に、他人を理解できる方法など存在しない。なのに言葉を交わさず、そこに適当な理由を見つけては相手から逃げる。それは自分から逃げているのと同じではないか。

僕は認知症の彼女と出会ってから、「言葉を交わす」ということの大切さを、改めて教えてもらった。

毎回毎回が同じやりとりなのに、毎回毎回が新鮮な気持ちになれる。それはきっと、相手にとっては毎回が初めて言葉を交わしているのと同じだからなのだろう。相手が感じている新鮮な気持ちが、僕に伝わってきているのだ。

もう1年間、もう何回も、同じやりとりを彼女と繰り返してきた。

このやりとりが出来なくなる日がいつか来る。その時が来るということに、僕は寂しさと恐怖を覚えずにはいられない。

1年間、毎日同じ言葉を交わすのと。

1年間、全く何も言葉を交わさないのと。

もし相手が死んでその時に後悔するならば、その度合いはいったいどちらの方が大きいだろうか。

言葉を交わすというのは、簡単なようでとても難しい。言葉を交わそうとするまさにその瞬間、言いようのない感情が自分の胸の内を支配して、ほんの少し前までは喉のすぐそこにまで出かかっていた言葉が、言えずにどこかに行ってしまう。

認知症の症状のある方全てが、今回書いた彼女のような人ではないのかもしれないが。もし認知症になることで、何らかの要因により言葉のやりとりが出来るようになるのであれば、不便なこともあるが幸せなことだってあると、考えることが出来るのではないだろうか。

もしかしたら、認知症に代表される現代において療法のない症状なんかは、実は救いの手なのかもしれない。

家族はいるのに別々に暮らしている。

結婚相手はおろか子供とも話をしない。出来ない。

そういう「言葉を交わしたいのに交わせない。どうすればいいのか…。」と壊れてしまうかもしれないほど悩まずにはいられない寂しい心情に陥ったときに、神が与える最終手段。

自身の身に降りかかる全てのことを忘れられる「認知症」。

認知症になった人の身内や子供は口を揃えてこんなことを言う。

「寂しい思いをさせて悪かった。ごめんね。」と。

大切な人が認知症になってから、初めてそのことに気付くのか。それとも認知症になる前から寂しい思いをさせているとわかっていて、それでも尚寂しい思いをさせ続けるのか。

死んでしまっては何も出来ないが、死なずとも何をされているのかがわからなくなってしまえば、そちらの方が悔しくないだろうか。

産んで育ててくれた親や、生涯を共にすると誓った相手から、「あなたは誰?」と言われるかもしれないのだ。

そう言わせてしまうほど、相手に寂しい思いをさせてしまっていたんだと、気付いた後でどれだけ何を言ったって。相手はすぐに忘れてしまう。早ければ数分も経たないうちに。

自分のことを忘れてしまった相手に、どんなに伝えても伝えきれない思い。

たった一言、「ありがとう」という言葉さえ、相手が理解してくれているのかがわからなくなる。

そうなる前に、伝えられるうちに伝えておきたいことがあるのなら、例えどんなことであっても伝えておくべきだと僕は思う。

幸か不幸かを選ぶのは、自分次第だ。


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