銀河鉄道の夜を見上げながら

Takenori自身がこの記事を読み終わるまでにかかった時間は約2分です。

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10代に満たない子供でも、善と悪、いい人悪い人の区別はつく。

それは「子供だからこそ」と言っても過言ではない。

たった9歳の少年にとって、その人の生き方とその人が残したものは、生涯忘れることが出来ないものとなった。

雨ニモマケズ

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

宮沢賢治の雨ニモマケズより。

時折僕は、街が寝静まった深夜に近くの学校に行くことがある。僕が中学生の頃に、陸上競技の大会が開催された学校だ。

もう10年以上も前。この場でたくさんの友人や他校の生徒と競い合っていたことを考え、儚くも懐かしい感情に浸る。

のすたるじっく、というやつだ。

真っ暗なグラウンドの真ん中で、誰にも邪魔されずに夜空を見上げる。その瞬間に僕は、最高の贅沢を覚えることが出来る。

天気が良いときに限られるが、遥か遠くで瞬いている星が見えるときには、澄んだ空気と微かに聞こえる風の音とが、僕を異世界に連れて行ってくれるんだ。

自分の悩み事なんてなんとちっぽけで、ともすれば幸せだとも思える。宮沢賢治もきっと足を運んだことがある、あの世界。

宮沢賢治と出会った夜

僕が描いた銀河鉄道の夜の絵が県の何かの賞に選ばれた。小学4年生のときだ。

自慢じゃないが、小学校生活6年間のうち、5年生のときを除く全ての学年時に、絵や工作が全てなんらかの賞に選ばれた。

5年生のときは絵を描かなかった。工作もしなかった。その理由は…この話はまたいつかブログに書くことにして。

小学校の教科書というものを思い起こしてみる。確か国語の教科書に、宮沢賢治の詩が賢治本人の写真と共に掲載されていたはずだ。

しかしながら、詩を連想させる挿絵はほとんど掲載されていない。これは宮沢賢治の詩に限らず、どの詩人の作品にも言えること、と、僕の頭の中の小学4年生当時の担任の教師が言っている。

詩を残した人物と、教科書の挿絵を描く人物とは別人となるわけだが。詩人が詩と共に思い描いていたイメージと、挿絵を書く人のイメージとが、必ずしも一致するとは限らない。

全くの赤の他人なのだから、それもそうだ。

しかしながら、だ。僕が僕自身のイメージで描いた銀河鉄道の夜の絵は、賢治本人が思い描いていた、賢治が生前足を運んでその目で見ていた、あの夜に酷似しているものかもしれない、と、ふとそんな幻想に陥ることがある。

時代は違えど、生まれた場所が違えど、見上げて目にする空は同じ空だ。

賢治もあの日、この空を見ながら、銀河鉄道に乗り込んだのかもしれない。星が瞬いていたあの夜に。

僕はイタコでもなければシャーマンでもないが、いつとも断定することが出来ないある特定の日の夜に限って、賢治に会えるときがある。

賢治は僕に、とても静かで、落ち着きと冷静さを伴った安らかな感情を届けに来てくれる。銀河鉄道に乗って、だ。

「そんなことで人を憎んではいけない。優しく笑ってごらん。」と、僕の心を見透かすような言葉と仕草で、いつも僕を救ってくれる。

理想郷を思い描き、その世界を詩や文学という形で残した賢治は、1人の人間の善の部分を形成するほどの賢者として、以前君臨している。

今の僕にとって、理想郷は文字通り理想郷でしかないが、いつかその理想郷をこの目で実際に見てみたい。

賢治が見ていたイーハトーブのように。


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